最もすぐれた霊性は日常の生活にある。

様々な宗教の話に耳を傾けてみると、

時間は俗なる時間と聖なる時間に

区別されていることに気づく。



宗教によっては、この俗なる時間は

必要悪として見られている。「神と共に

生きよう」としている人間は、なるべく

俗なる時間を縮小して、聖なる時間を

長くする必要があると言われる。


この考え方は、人間の日常を否定しているし、

地球の尊さを無視している。その延長に

共産主義が現れて、環境問題の根源にある

考え方なのだ。


ところが、我々の時間は、何をしていても、

基本的に、聖なる時間以外にない。



ヨーロッパの古い伝統によると、霊性

先生になり得る人は、必ず手に職を持たなければ

ならない。



ニューエイジとともに、様々なイニシエーション

の儀式によって、弟子が段々階段を上って、最高の

指導者になるというやり方がはやっている。しかも、

段階を積む度に、資格の費用はとてつもない額に

なったりする。



ところが、本来の伝統は、先生と弟子は無いと

言っている。あるのは、先生的な役割を果たす人は

弟子たちが自力で、神聖と通信できるようになる

ことをサポートしている。具体的なやり方は、

直接教えるのではなく、イニシエーションを行う

でもなく、「場」を作る。弟子は先生と一緒に

いることによって、気付かないうちに、様々な

能力を開花させている。先生と生徒は他愛無い話し

押しながら、違う次元で、具体的なイニシエーション

作業が神性によって、直接、行われている。



そして、今日、先の瞬間まで、生徒だった人間が

直接の情報をダウンロードできるようになる。

コンピュータと同じように、プログラムをインストール

することによって、今までに対して使われなかった

コンピューターが、非常に大事な役割をはたす。


しかし、このようなアプローチが出来るならば、

聖なる時間と俗なる時間の区別はない。あるのは

神から与えられた時間の共有のみ。従って、

神聖が宿っているのは、通常の、日常の動作や時間。


神聖から個人が直接に情報が入手出来ることに感謝。

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