一族のスキマはどうしてできるの?

「一族とか先祖など、どこにあるのかそんなもの?」

と聞かれるかもしれない。近代の日常の生活では

自分の核家族以外の先祖のことは分からない。しかも

生活と社会の構造は先祖を知る必要性を感じさせない。



先祖のことを書いている本人でさえ、頭の隅に置いていた

にもかかわらず、この10年来、本気で祖先のことを考えた

ことがなかった。クリスマス直前に亡くなった親父が

仲介役を志願したようで、一所懸命「バカ息子」の意識を

成仏できなかった一族の面々へのサポートを呼び掛けている

気がしてならない。


私のように亡くなった親、親戚を頭の隅に置いてしまうと

忘れたかのような状況になるので、今だに成仏できない

一族のメンバーは焦ってしまう。「約束が違う」と怒ってしまい、

気付かせたいあまりに、悪さを始めるケースは珍しくない。


「約束?」と疑問に思うのも不思議ではない。約束した覚えは

一切ないのに、約束だなんて、考えすぎだと言いたくなる。



しかし、記憶があっても、なくとも「約束がある」ことは事実だ。



説明は少々複雑になってしまう。地球での人生は、ただたんにつまらない

仕事をするためにあると本当に考える人はいないと思う。この人生は

「感じる」修業の道場だ。しかし、順番で言わないと、訳わからなくなりそう

なので、最初からスタートしよう。



先ずは地球を含めて、地球にあるすべてのものはエネルギーだ。

地面にどっしりと埋もれている立派な石も、自分の身体もエネルギーである。

具体的な説明は量子物理学の漫画でも読んで理解を深めていただきたい。


...続く...