生活の改良と日常の現実

生活を変えたい、と思う人は

非常に多いと思う。しかし、

日常の忙しさとか、単なる習慣で、

改良を始めようと思っても、気付いたら

一日が過ぎてしまう。



そこで、何を考える?

「自分はだめだ!」とか、

「このバカ、決めたことは

全然実行できない」とか?



それとも、明日、確実に改良の作業

に取り掛かれる段取りを再確認する?




変化が欲しいならば、変化を可能にする

行動に出なければならない。

人によっては、「自殺すれば、変化が生まれる」

と自殺を行動として勘違いする人もいる。




自殺は変化をおこさないだけではなく、

どん底の状態をさらに悪化させてしまう、

行動に思えて、衝動に過ぎない。




行動というのは、必ず理想的な姿があって、

その姿を目指して、一歩でも近づけようとしている、

具体的な動作だ。自殺は、理想に近づく為の行為、ではなく

理想から逃げ出す衝動だ。



行動に計画があって、自分の進歩が

計れるチェックポイントが設定されている。



失敗はどうなんだろうか?



失敗は、立派な行動です。子供は歩きだす時は、

最初から、立派に歩いているわけではない。

自力で立って。そこで一つの区切りがある。

次に、一歩歩いて、倒れる。それは失敗なのか?

違うよね。失敗ではなく。全力を使って最初の

一歩を踏み出した後の休憩だ。非常に重要な休息。





そこで、力を集めて、次の一歩か二ほ歩に備えている。

倒れたことは、非常に重要な力準備の時間だ。




しかし、小さな子供だと大人が注目しているのは

倒れたことではなく(それは、当り前、となぜか

決めている)、歩いた一歩だ。





ところが、大人になると、なぜか皆、本人が踏み出した

最初の一歩ではなく、当たり前だった「倒れる」ことに

集中して、成功への過程を忘れてしまっているようだ。




だから、現実の世界では、大人は、歩き出しで、倒れることは、

当り前で、成功への不可欠なステップだと忘れて、最初から

完璧な出来具合を期待してしまう。


このスキマは、人類を苦しめているので、そろそろ、

認識を変えてもらわなければならない。


失敗を行動として認めて、失敗しながら、理想へ

進んでいく、イジメなしの社会を作りたい。


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