霊能者・宗教家、正しいのは誰?

先ほど、ランキングのページを

開いたら、今、精神世界や

人気ランキングでトップを

走っている「伊勢白山道」

http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou

さんのブログに猛烈に抵抗する

いくつかのブログが目に飛びついた。

例えば:http://blog.goo.ne.jp/katamarikun 、

http://blog.goo.ne.jp/iroha1960



正直なところ、またかよ、という感じだ。



霊気の世界を思い出す。一方、本物であり、

非常にいい仕事をしながらも、醜い争いが、

行われている。どの先生が偉いのかが

主な論点になっている。



今度は「内在神」の世界でも起こっているのか?



このような論争が始まると、いったい、

誰が正しいかという疑問は自然に沸く。

特にオーラーとか、霊が見えない方は

どのように理解すればよいのか、判断に

困ると思う。


見えないと思っても、実は全ての人間が

何らかの形で、エネルギーを感じているし、

霊の存在に気づいている。出来ていないのは、

その無意識の情報をいかにして意識に

持っていくかの回路だけだ。




霊の世界、精神の世界は言語の世界と

非常によく似ている。日本語、中国語、

韓国語、英語、スペイン語、ロシア語

の方々が、どちらの言語が正しいかを

争うと全く同じ状況だ。どちらも正しいし、

どちらも間違っている。




日本であれば、日本語は正しいし、

アメリカで論争がおこなわれるならば

英語が正しかったり、スペイン語

正しかったりする。かといって、

アメリカでの中華街に行けば、そこは

中国語が最も正しい言葉になる。





言葉は、毎日の現実をある決まった

観点、ある文化の目を通して見ている

ので、その観点から見えている現実は

正しく表現されている。



言葉が違ってきたら、見る観点が違う

ので、見える内容も違ってくる。じゃ

間違いなのか?いえ。見る角度が違う

から、見える範囲も異なる。



オカルト映画とか、ホラー映画で

Woodoo教が悪魔の宗教として

描かれている。確かにその宗教に

人を狂わす、人を殺す力がある。



じゃ、同じ力は神道にないか?

どの宗教をとってもその力は

ある。霊的なエネルギーは火と

同じだ。



火自体は良いものでも、悪いもの

でもない。台所に火をたけば、食事

を焼いたり・煮たりすることができる。

お風呂のお湯も沸かしてくれる。



しかし、同じ火は、間違って使われると

火事を起こし、一瞬で建物を焼いたり、

人間を焼き殺したりする。



霊的なエネルギーは火と一緒だ。

そのもの自体は、良いものでも、

悪いものでもない。どのような意図で

使われるか、どの手段を使って

使われるかによって、その結果は

いいもの、悪いものに変化をする。



その意味で正しい宗教、霊能者は

いないし、皆が正しいともいえる。

恐れられている Woodooは実は

使い方を正すと、非常に効果的な

癒しの源にもなる。そのような

目的でWoodooを使っている人に

出会うことができた。



じゃ、本当は誰が正しいのかね?

あなたにとって、唯一正しいのは

あなただ!



他の人、どんな偉い人であっても、

他の霊、どんな素晴らしい霊に見えても、

あなたにとって、参考にしかならない。

あなたが、ある目的、あるミッションを

達成するためにこの世界に舞い降りた。

周りの雑音、どんなに優れていても、

他人の雑音にすぎない。



疑問を感じたら、生まれることと

死ぬことと、お手洗いに行くことを

思い出してもらいたい。生まれると

死ぬことは特別として、おいても、

お手洗いへ行くことは、病人以外、

一日に数回あると思う。



他人から、オシッコとかウンチの

仕方をいくら習っても、自分で

実際にしなければ、大変なことに

なる。我慢していても、ある瞬間で

我慢ができなくなり、いやでも

漏らしてしまう。



結局は、他人は自分の代わりに

お手洗いに行けない。どんな

優れた人間であっても、最後は

自分しかない。



霊的な世界は全く一緒。他人に

頼っても、他人に押し付けても、

最後は、自分がやるしかない。

逃げても、嫌がっても、ある時間

はできるかもしれないが、限界

まで来たら、「漏らしてしまう」。








このブログも同じだ。このブログは

目に見えない世界のある観点しか

扱っていない。その意味では、部分的

には正しいだが、絶対ではない。

観点が変われば、見える範囲も変わる

ので、答えも違ってくる。



精神世界の先生では、自分が偉いとか、

正しい等と強調している人は、正直、

要注意だ。霊の世界では、人間は

導入の部分しか教えられない。一旦

霊界との直接のつながりができると、

コンピューターにプログラムを

インストールすると同じように、

夢、映像、様々な現象を使って、

情報はダウンロードされる。



他方、霊の世界を歩み始めると、

様々な霊的な先生に出会う。

ある場合は人の姿で現れたり、

他の時は強大な蜘蛛、あるいは

恐ろしい怪物の姿で現れたりする。


時には「神様」の形をまとって

現れることがある。それに惑わされては

ならない。見える形は一つの

カムフラージュにしか過ぎない。

従って、どんな素晴らしい教えであっても、

それに、日本人の得意の、イチャモンを

つけなければならない。霊的だから

すべては正しいというわけではない。





そして、いたずら霊に惑わされている人でも、

霊能の力があれば、それでも立派な本物だ。

背後に霊が働きをしているから。結果はどう

なるかは、まったく別の話だ。その中で

最も損をするのは、疑わずに霊能者になった

本人だ。



そして、霊能者が弟子を持って、弟子には、

霊界から直接に情報が流れ始めたら、

その時、一瞬で、今まで先生だった人が、

弟子だった人と比較して、半分の

知識しかない状況はよく発生する。




結局、先生が弟子になってしまう。

それを理解されない先生が、自分が

偉いという立場を必死に守りたい

あまりに、様々な攻撃にでることがある。




情けない!トイレの原理を思い出しなさい!




霊の世界で人間が上下を争う意味はゼロだ。

意味は無いの。今日の自分が、昨日の自分より少し

進歩したかが、唯一、重要なことだ。他人の世界に

他人の「内在神」が宿っているから、その人に

しか本当の状況は分からない。



すごい癒しを施している人も、すごいかどうかは

癒しを何回を行ったか決定しない。自分が、昨日に

比べて成長したか、ということでことが決まる。





死んだ瞬間で第三者は、自分を裁くのではなく、

自分自身が、自分の生き方を振り向いて、自分が

成長していたか、他人に見えない内面的な自己評価

を基準にするので、他人の目を気にする代わりに、

自分が自分を見ている目を気にする必要はある。




他人と争って、自己評価を上げたいだろうけど、

本当に他人は相手なのかな?




自分の本当の敵は、もっと能力がありそうに見える

他人ではなく、自分自身なのではないだろうか?




唯一の修業は、他人に勝つ為の修業ではなく、

自分自身に打ち勝つための修業なのだ。




人間特有の他人の行動を監視し、文句を

言う、という無駄な行動をやめて、自分の

行動を監視し、自分に文句を言うだけではなく、

実際に、自分に打ち勝つ技を身につけてもらいたい。




その意味でこのブログの目的は、昨日の

自分より、今日の自分が少しでも成長

できるような、個人個人の活動を支援したい。

本当の自分が分かるようになったら、なんでも

できるから。







自分自身に感謝!


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